
知らなければいけない、知ろうとしなければいけない。
目をそらしてはいけない、見つめなければいけない。
そして伝える力をつけなければいけない。
地球人として。
とても勇気のいることだけれど。
どうか、世界が誤った方向へ進まないように。
立ち止まって、考え直して、また新たに歩き出せると思う。
これもとても勇気のいることだけれど、
そうしたほうがいいときもある。そうしなくてはいけないときもある。
誰にだってある。
世界をひっぱっていると言われている偉い人々が、
どうかまだ広い視野・心を忘れていませんように。
勇気を持っていますように。
間違った流れに巻き込まれてしまっている人々が皆、
どうか無事でありますように。
同じ地球の上に生きる人々が、
命を奪ったり奪われたりすることがもうこれ以上起きませんように。
12/Apr/2004
<道づれ>
私の母くらいか、少し年上のご婦人が二人、あるお店の前のスペースで、ソフトクリームを食べていた。それぞれ知り合いではないようで、ちょっとはずかしそうに食べていた。そこに、新たなご婦人が、これまたちょっとはずかしそうに、「私もお二人の召し上がっているソフトクリームを、これから食べてみますわ」と口には出していないが、そういうオーラを出して二人のそばへ。それを感じ取った一人のご婦人が、ちょっとうれしそうに、「このソフトクリーム、とてもおいしいわよ。すごく濃厚で。これはいいわよ」。するともう一人のご婦人もうれしそうに、「そうそう、とてもおいしいわ」。するとあとからきたご婦人、「ええ、食べてみたいと思っていまして」と、やはりうれしそう。
そんな会話をする三人のそばにいた私にもチラチラと目で合図。「あなたも食べてみてはいかが、おいしいわよ」、と。
う〜ん、ヨロコンデ!!・・・といきたいところだったのだが、今日は断念。また今度ご一緒させてくださ〜い。
ちょうど同じ日に別の場所に出かけていた母にその話しをしたら、母がカフェに入ったとき、周りには一人でソフトクリームをうれしそうに食べる、おしゃれをしたおばあちゃんたちが沢山いたそうだ。
VIVA!ソフトクリーム。VIVA!独りお茶。
<ココロヤスラグ>
自転車を走らせているときの、自転車のここそこがカタカタいう音が、好きです。<ばななおんせん>
果物屋さんか八百屋さんでもないとあまり見る機会はないと思うが、よく店先で見るサイズの、バナナ一皿ではなく、そうなる前の、まだたくさんのバナナがつながって一緒に入った、箱入りバナナ。箱を開けた。手を入れた。「あ、あったかいよ〜?」
南国のフルーツだから?!そうなの?!いや、バナナから出ているナントカガス(せっかく聞いたのに、初めて聞いた名前だから忘れちゃったよ〜。だからおバカっつーんだよーメモれよー)のせいで、あったかいんだって。ほんと、バナナの山に埋もれてたら、すごくあったかいと思うよ?ほら、お湯じゃなくてさ、あったかい砂に体を埋めてあったまったり、石の上に寝そべってあったまったりするみたいにさ。
「バナナ温泉」。しかし、バナナ嫌いには、許しがたいアイデアだろ〜な〜ははは
赤ちゃんって、パワフルで、希望に満ちてるよなー。生命力あふれてて、そばにいるだけで、パワーをもらうよ。
そして、あの、キラキラしたきれいな目!濁りのない・・・。なんてきれいなんだろう。きっと、心が澄んでいるからだよなー。あのまっすぐな赤ちゃんたちといると、心が洗われるよ。
この世に生まれてきてまだそんなに経っていない、あんなちっちゃい人間。生まれてきて何年も経った、こんなでっかい人間。でも、あんなちっちゃい人間の方が、なんだか、すごく強い気がする。
ワタシだって、あんなにまっすぐで、強かったんだよな〜。自分が、でっかいけどちっちゃく感じるよ。彼らを見てると。まっすぐいきたいね〜。
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My angels! メグとー けいとがー、初めてー、出会った〜(ウル○ン調に) プニプニムチムチの、ドラえもんのような腕と手!ナンテコッタ、かわいすぎるぜ〜 | ||
春ですね。春のにほひがしますね。そんで今夜は満月でしょー、都会のビルの間からまんまるお月様が見ているもんだから、胸をくすぐられて、なんかちょいとウキウキ気分になって、月光の下、春のにおいの中、ずっとずっとぶらぶらと歩き続けたい衝動にかられました。でもねー、明日も早いしなー、なんて、現実世界にすぐ戻っちゃったー。つまら〜ん。
でもほんと、今日は、思わず「ミスタ〜ぁぁぁぁ〜ぁ〜 ムーンラ〜イ」なんて口ずさみながらチャリをこいだよ。Mr. Moonlightが降りてきそうな夜であったよ。
この時期、あちこちからくしゃみの音(声?)が聞こえてきますが。おさえようと思うとさ、一般的なクシャミ「はっくしょん!」ではなく、変になってしまうときがあります。周りに人のそんなにいない時ならともかく、静かな混んだ電車の中などでは、とてもはずかしい・・・。
「ヘビッ」「フギッ」「ブッ」「フビッ」 「フガッ」「ンゴッ」「ドゥッ」etc,etc...
そんなとき、電車内のみなさんが、「ドッ(笑)」とウケたりしたら、変なくしゃみした人も、「へへ・・・」とか笑ってごまかしてさ、ウンザリ気分に包まれた満員電車の中が、なんだか楽しい雰囲気・だと思うんだけど・変なクシャミ、みんな笑いたいハズ・ワタシは笑いたい・
そうそう、ある雑誌のつり広告で見たんだけど、こんなのがあったよ。「笑うと幸せ遺伝子が目覚めるよ」
「裏切られた」という気がしていたので、World Peace Nowのアンケートにあった「小泉首相を応援していますか」という質問に、「応援していない」と答えた。でも小泉さんが、「たくさんの命を奪う、”戦争”で問題を解決しようというのには、反対である。過ちを繰り返してはいけない」とハッキリ言うのなら、心から応援するのに!
話は変わり、私は彼等をテレビで見たことがないんだけど(多分、トモヲなんかは知ってるんだろうね)、”いつもここから”というお笑いコンビの、「悲しいとき/いつもここから著/扶桑社」という本(絵本というのか?まんが?)を読んだ。「悲しいとき〜」で始まる短い分が沢山載ってるんだけど、ちょっと紹介すると、
悲しいとき
みんなにお菓子を配ろうとしたら
みんなにいらないって言われたとき
悲しいとき
家に遊びに来た友だちがじゅうたんで手をふいていたとき
悲しいとき
大雨が降ってきたのにふとんを干しっぱなしの家を見たとき
悲しいとき
学校から帰ってきたら、お母さんがこたつで寝てたとき
悲しいとき
テスト中ちょっと動いただけなのに
隣の人に答案を隠されたとき
悲しいとき
怒り方が変でみんなに笑われている先生を見たとき
悲しいというか、せっ、せつなっ!!この他にもせつない文が、せつないイラストとともに、満載。そう、”いつもここから”の菊地さんが描いたイラストが、道徳の教科書(今、「道徳」と呼ばないんだよね〜?なんだっけ?)の挿し絵に使われそうなイラストが、せつなさ倍増させてます。すごい観察力で、細かいところまでせつなく書き込まれた、ヤバいイラスト。(とても上手いんだよ)
私も「悲しいとき」を書いてみた。
悲しいとき
つり革につかまり、ちゃんと、がんばって自分の足でふんばって立っているのに、
「人によっかかってんじゃねーよっ」という視線でちらちら見られたとき
(満員電車内は、殺気だっている。いやだよう。ラッシュなんて大嫌いどぁ〜!泣きたくなるさ。)
長くて野暮ったいねー。えへへ。
なんもわかってない、単細胞なヤツのたわごとかもしれないが・・・。吐き出さずにいられなかったので、吐き出してみた。ぐちぐち吐き出したからってどうなるわけでもないんだけど・・・。
20/Mar/2003
人々を苦しめている独裁者がいる。確かに、その独裁者がいなくなれば、人々に普通の幸せが訪れるのでは、その独裁者から苦しんでいる人々を救いたい、とも思う。しかし、人を救う方法が、人を傷つけるかもしれない方法であってはならないと思う。そして、悪を力でおさえつけても、本当の解決にはならないと思う。なぜなら、そこにはきっと、悲しみ、恨み、憎しみが残るから。
まるでドラマや映画でも見ているように、テレビの画面から目に入る、戦地の映像。私にとっては本物でない、夜空に光るミサイル、上がる火の手、ミサイルや飛行機の轟音、激しい爆発音。ところが、そんな小さな画面から届く音や映像にも、背筋が凍る。手が冷たくなる。恐くて仕方が無い。そんな恐ろしいことが、実際に自分のすぐそばで起きているなんて。どんなにか恐いだろう。兵士だって、恐いに違いない。恐くない人間なんているはずがない。戦火から離れたところで指示しているだけの人間には、恐くないのかもしれないが。そう、まるでゲームをしているかのようで。ただ逃げるしかない人たちなんて、どんなにか恐いだろう。特に、まだ自分一人では生きて行くことができない、小さい子供達なんて・・・。一般の市民は巻き込まないっていったって、そんな弱い、まだ何も知らない子供達に、そんな恐ろしい思いをさせるだけでも、攻撃をしているのと同じようなものだと思う。
どうにか、そんな思いをさせずに、おさまってほしい。一部の人間の意地のはりあいのせいで罪の無い人々が恐ろしい思いをすることなく、決着がついてほしい。そう思っている人は、世界にもたくさんいる。しかし、その声は届かないみたい・・・。
戦争で解決しようなんて、おかしい。どうにか他の道はないものか。どうにかならないものか。そう思いながら、テレビでバグダッドの様子を見ながらも、私は、普通に暮らしている。日常の、普通の、平和な生活をおくっている。同じ地球の上、同じ時間に、戦火の中、恐ろしい思いをしている人がいる。自分では望まないのにどうにもできず、流れに巻き込まれている人々が・・・。
平和な日本でのほほんと暮らしている、非力な私。でも、暴力で人が押さえ付けられることがあっては絶対ならない、と強く思う。正義のための戦争ってなんだよ・・・「正義」と「戦争」を同じに並べるなよ・・・。戦争なんて正しくないだろ・・・。自分が爆弾を落とされる側の身になって考えてみなよ。自分の大切な、大切な人が恐怖に震えている姿を考えてみなよ。耐えられないよ。でも、何もできないのか・・・。どうにもできないのか・・・。
21/Mar/2003
Peace Walkに参加した。主催者の発表では、参加者5万人だったとのこと。団体で参加しているところもあれば、1人で参加している人も多く見られた。私のとなりには、多分、戦争を体験した年齢と見られる、1人で参加している男性がいた。その男性は、大きな声を上げることもなく、静かに、ゆっくりと歩いていたが、いったい心の中はどんな思いなんだろう、と思うと胸が苦しくなった。
なぜ、人間は同じ過ちを繰り返すのか。悲しい。人間は、色々なすばらしいものをうみだす力を持っているのにね。考える力を持っているのにね。
そんなに戦いたいなら、勝手に多くの人を巻き込まないで、人にも、環境にも、まったく影響のないところで、戦争したい人だけで、やってほしい。しかし、”人にも、環境にも、まったく影響のないところ”なんてこの世に存在しないので、戦争なんて、できるはずなし。
22/Mar/2003
Peace Walk から戻った夜のTV Newsを見た。世界各国で、英米イラク攻撃に反対を訴え多くの人が集まっていた。ある国の国会では議員達が机を叩き反対を訴えていた。それなのに・・・!その数時間後には激しい空爆攻撃が・・・。一般市民の反対の声は、届いていないのだろうか、届かないのだろうか。米大使館前で反戦を訴えても、届かないのだろうか。
戦争を指揮している米・英のトップの人たちと、反戦を訴える人々の間には、高く大きな壁があるかのよう。反対の声なんて全く届いていないようだ。それでも、国の代表ともなれば、私達の声をなんとか、彼等に届けることができるのでは、届けてくれるのでは、と思う。ところが、私達日本人の代表は、一般市民の声なんて聞こうともしていないのでは無いかとさえ思う。どんなにポストに投函しても、手紙はポストに残されたまま。集配などしてくれない、という感じ。多くの日本人の声については触れず、マイクをむけられれば「アメリカとの信頼関係」、そればかり。多くの反対している人たちへは何か言うことはないのか?
まるで、政治など機能していないみたいだ。今、世界は、まるで独裁者に支配されているかのよう。
Peace Walkで、ある男性が言っていた。「戦争という道を選ぶような大統領を選んだのはアメリカ国民だし、そんな大統領を指示する首相を選んだのは、私達なんだ」「まず、僕達にできることは、そういう人を選ばないように、ちゃんと、どういう人か見極めて選ぶようにすること。政治にもっと関心を持つこと」「そして、そういう考えを、近くの人にどんどん広げること」「言いたいことを、発言して、伝えられる、それが民主主義だ」「一人一人が、まず自分の周りの人への思いやりの気持ちを、お互い持つところから。今回も、お互いが思いやりの気持ちを忘れずに持っていたら、戦争は起こらなかったのではないか」
降伏したイラク兵が、同じくらいの年の米英兵と笑顔で握手を交わす。米英兵が銃さえ持っていなければ、きっと、世界各国からの人が集まり暮らすアメリカなどではよく見られるだろう、友達同士のような光景だ。TVに映るバグダッドの空も、平和な日本で見るのと同じおだやかな青空だ。
Good Morning Vietnam という映画でも流れていた、この歌を、イラクに、アメリカのブッシュ陣営に、聴いてほしい。戦うことなんて、やめてください。人を傷つけることなんて、やめてください。
せめて、明日目が覚めたら、戦争が終わっていますように。
23/Mr/2003
「一般市民に対する被害は、できるだけ少なくおさえるよう・・・」
(それって、少ない数でも、必ず関係のない一般の人々も巻き込んじゃう、っていう前提で空爆してるってことじゃん)
「アメリカはかけがえのない同盟国・・・」
(”かけがえのない”って、そんなとこで使うなよ。かけがえの無い命が、今のイラクでは消えていってるんだよ?)
ひどい、むごい、無駄にかけがえの無い命がたくさん消えていった戦争を、原爆の恐ろしさを体験している日本が、どうして戦争に反対できないのか。私だって戦争を実際に体験していない。「恐ろしい」っていったって、本当の恐ろしさはわからない。でも、体験していない私達の役目は、二度と同じ過ちを繰り返さないことじゃないの?
今生きている私達と同じ、やりたいことがたくさんあって、失いたくないものもたくさんあって、愛する大切な人もいて。いつの時代だって、生きる場所が違ったって、きっと、亡くなっていった人にはそういうものがあったはず。イラクの市民だって、今、イラクで戦っている英米・イラク兵士達だって同じはず。同じ人間なのに、人間同士命を奪いあうなんて。「死ぬかもしれない」っていう、そんな危険な解決法じゃなくて、もっと他の方法を選ぶべきだ。
同じ人間なのに、傷つけあう。同じ人間なのに、自分だけが良い思いをすればいい、と仲間を思い遣れない。同じ地球上に暮らす、同じ人間なのに。人が人を狙うミサイルなんて、核兵器なんて、なんのために、持っている必要があるの?!どこの国にだって、そんなものいらないよ!必要無いよ!
25/Mar/2003
もうすでに、いくつかの尊い命が、消えていった。何人もが傷付いた。
兵士を、人間を、ゲームの駒のように使うな。
戦場から離れた、安全な、守られた場所にいる人たちは、恐怖を感じないし。きっと、ゲームかなにかやってるような感覚なんだろね?ゲームにもう熱中しちゃって、周りの声は聞こえないみたい。戦うことしか見えてないみたい。攻撃は弱まらない。
イラクで戦っている兵士達には、命を危険にさらさないでほしい。戦うのなんて、やめてください。どうか、生きてください。